「さよならジュピター」というSF映画がある。1984年公開。そのお話はと言うと、、地球に迫るブラックホールの軌道を変えるために木星を爆破しようとするのだが、その木星では太古の異星人が残した宇宙船が現れ、地球では環境保護団体のマスコットであるところのジュピターなる名前のイルカがサメに食われ、それを悲しんだヒッピーは歌を歌い、火星ではナスカの地上絵が発見される。。。いや、本当にこんな話なのだ。大阪は梅田の、多分ナビオ阪急に入っている劇場で、高校生の頃の私はこの映画を確かに観たのだ。
でも、この映画が名をとどろかせるようになったのは、そのユニークなストーリーからではない。この作品では、映画史上初めて、無重力下でのラブシーン、、っていうか、なんというか、つまりその、男女のまぐわいっていうか、ええっと、だから、無重力下の交尾行動が描かれていたのである!宇宙ステーションだったか宇宙船の中だったかで、回転を止めて重力を消したと言う設定の部屋の中に、裸の男女がふわふわと漂いでて(実際はガラスの上に寝ころんでいるのを上からカメラをゆっくり移動させて撮影していたのではないかと思わるる)抱擁が始まったのを見た時の中田少年の驚愕を想像してみよ。一度見たら絶対に忘れる事のできないシーンである事は請け合い。本来ならここで「DVDなどで是非」とお勧めするところだけれども、それさえもためらわれると言うところからいろんな事を察して欲しい。
で、なんで突然こんな無重力交尾なんてアホな事を書き出したかと言うと、
「カルガモの交尾」(データ番号: momo060420un01b)で、オスがメスの上に乗った時、メスの体がほとんど沈んでしまうのを見たからである。そうかあ、こいつらって浮きながら交尾しているのかあ。体を支えなくてすむ状態の交尾ってどんなんなんだろう?
いや、でも冷静に考えてみると、水に浮いているということと、無重力と言う事は全く違う現象なのであって、本当に重力の影響がないのであれば、上に乗られようが乗られまいがメスの体は下に移動したりはしないはずだ(乗られた時の慣性は考慮しない)。だから、私の連想は的外れであって、まったくもってカルガモに失礼である。カルガモ、ごめん。
こうしてみると、上で「体を支えなくてすむ状態の交尾」と書いたことも実は不適切であろう。というのは、上に乗られたメスを単体で考えてみれば、通常よりも深く水中に没しているわけで、アルキメデスの原理に従えば、自らの体重よりも大きな力を上向きに受けているはずだからだ。だから、背中のどこか1点をオスに押さえられていたとしても、そこを支点にして体全体がクルリと回転して横倒しに浮き上がってきたっておかしくはない。しかし、現実はそうはなっていない。アルキメデスの原理など存在しないかのようだ。
しかし、アルキメデスの原理が存在しないと言う事は、あの「ユーレカ!」のエピソードもないということで、そんな味気ない世界じゃあちょっと困る。ということで、別の説明を考えよう。えーっと、メスは交尾中、体が回転しないよう通常より激しく足をかいてバランスを取り続けているのかもしれない。もしくはオスのバランス感覚が大変優れており、かつしっかりと足でメスの体を保持していて、よしんば回転しそうになっても上方でうまくバランスを取っている可能性も考えられる。うーん我ながらあまりにも投げやりな考察である事だ。このへんが鳥の素人の悲しさと言うところか。ということで、誰か詳しい人教えてください。もしくは交尾中のカルガモの水中の足の動きを撮影すれば、何かヒントが手に入るかも。
それにしても、この映像の後半、オスはどんどんメスの頭を突っついていて、何度かはメスが完全に水中に没してしまうくらいである。カナヅチである私から見れば悪夢のような光景だけれど、彼らにとってはこれが当然の行動ということで、それにはきっと何かわけがあるはずだ。まあ、安易な説明として思いつくのは、交尾行動中と言うのは捕食者に対する警戒がおろそかになるので、襲われにくい水上で事に及ぶのがよろしいと言ったところだ。淡水だから、ジュピターを襲ったサメもいないしね。
ところで、「さよならジュピター」の主役は誰あろう三浦友和だ。一方、前回の私のコラムのテーマは山口百恵だったわけだけれども、これは決して何かの符牒というわけではなく、単なる偶然である。
中田兼介(東京経済大)
2007-02-23