小学生の夏の思い出といえば、うちの田舎では、地区の子供を集めて氏神様である天神様のお札をとりにいくという肝試し大会がありました。出発点は社から500mほど離れたところなのですが、当時はまだまだ多くの道が鋪装されておらず、夏には轍以外は草が伸びて小さな子の背丈ほどもある状態。道脇の電灯なども少なくほんとの暗闇が広がっています。そこを抜け、さらに暗い杉林の中の参道を通って境内に入り、社の裏側に回って置いてあるお札をとりにいくとうルールです。高学年の子供が何地点かで脅かす役をするのですが、脅かす人がいるというのが安心感になるくらいの暗い夜道なのです。胆の小さな私には本当に恐くて恐くて...
小さな鳥居が見えてくると「とうりゃんせ」の唄が頭にまわって、恐怖二倍、足もすくむってもんです。「御用のないもの...」とかいわれると、色々考えてしまって、前へ進めません。とうせんぼをしてるのは、人なのか、天神様なのかとか...
他の生物でも、同種他個体によるとうせんぼと他種個体によるとうせんぼが存在しているようです。
ニホンザルのとうせんぼの舞台は「他個体を飛び越えるニホンザル(
「他個体を飛び越えるニホンザル」(データ番号: momo050331mf05b))」、雪原にできた細い一本道です。温泉の湯を運ぶためのホース上の雪が熱で溶けてそこがサル道になっています。これだけでもおもしろいのですが。一頭のサルが座り込んでとおせんぼをしています。別のサルがやってくるのですが、「ちょいと、失礼!」とばかりに頭の上を飛び越して道を進みます。なんとなく笑みがこぼれる映像です。
一方、狭い水道ではヤクシマダカラの前にムラサキウニが立ちはだかります「ヤクシマダカラの衝突回避行動(
「ヤクシマダカラの衝突回避行動」(データ番号: momo031011ca01b))」。狭い水道で行く手を塞がれたヤクシマダカラは道脇に進路を変えウニの横をゆっくりと歩をすすめます。「ちっ、どきやがれ!」とか思ってたりして。天神崎だって歩みをとめたりしません。だってやくしまだから...(意味なし)
この二つの映像をみるととうせんぼに対する行動は異なっています。一方は軽やかにジャンプして、もう一方は道を少し外れることで。しかしながらこの二個体の行動には共通点があります。それは私とちがってとうせんぼを前に立ち止まったりしないという点です。きっと彼らには目の前の一本道しか見えてないに違いありません。その道を進むのだと。だから立ち止まるとか、引き返すとかしないのです。目の前のものに集中すれば、どんな困難も乗り越えられるということを教えられます。いや、ほんとうは知らないけど...彼等の細道の先に何があるのか知りたいものです。
恐怖というとうせんぼで立ちすくんでしまった小学生の私はというと、意を決してなるべく周りをみないようにダッシュで参道を駆け抜け、無事お札を手にして皆のいる出発点へ戻ることができました。私の背中を押して前へ進ませたものは、何も恐くないという勇気というより、臆病者といわれるのがいやという感情でした。本当は何度も「もうやだ、やめちゃおう」と思ったのですけど。少しだけ、大人になった感じがしました。
蛇足になりますが、私が子供の頃は恐いことがいっぱいありました(単に恐がりなだけかもしれませんけど)。大きな樹を伐ったら罰が当たるとか、ご飯をのこすともったいないお化けがでるとか。でもそんな恐さが人のわがままな行動に対するとうせんぼになっていたのかもしれません。そんなとうせんぼを前に立ち止まって、自分のわがままな行動を省みることも時には必要なのかもしれません。
丑丸敦史(神戸大学 人間環境科学科)
2005-10-21