春といえばサクラ。サクラといえばお花見。個人的な話で申し訳ないが、私が今まで一番記憶に残っているお花見といえば、京都の鴨川の桜の下にテーブルと椅子を持ち込んで行なった花見マージャン大会。こう、川の流れる音を聞きながら、薄桃色の花びら舞い散る下に緑のマットの色映えも風流。そんな桜の花びらだが、5枚であることは皆さん御承知の通り(いや、最近は桜の絵を描けない子供がいるらしいから、こういう言い回しを安易に使っちゃいけないかもしれない)。
花びらが5枚の植物は、サクラに限らず他にも色々あって、この時期だとスミレやカタバミなどがよく目に入る。夏の花のアサガオだって花びらは一つにくっついているようだが、よく見ると5本の筋が入っていて、5数性であることがわかる。じゃあ、動物はどうか。まず最初に思いつくのは私たちの指の数だろうが、これは手足の先っちょの細かい事である。それより何より、基本的な体のつくりに5が関係している動物のグループがいる。ヒトデとウニとナマコが属する棘皮動物である。
この中で、5という数字を体全体で直接表しているのはヒトデだ(必ずしも全てのヒトデが腕が5本というわけではないのだが)。で、ウニの場合、パッと見はわからなくても、潮だまりのある海に行くとよく落ちている骨格(お団子状の本体の表皮のすぐ下に、体を包み込むように骨格がある)を見れば、それが5つの部分に分かれている事がわかる。
このような体の作りの事を五放射相称と言うのだが、それは体の中に線を引いた時に左右が同じ形になるような線が5本存在する事を意味している。じゃあ私たち人間はというと、これは左右相称と言って、そのような線は一本しかない。というわけで、私たちの体に多く見られる数は2である(この線の両側に一つずつ体の部品がある)。目、耳、腕、足。内臓にも二つずつあるものが多い。
さて、動物の多くは左右相称なのだが、これは放射相称と言って、クラゲのように左右が同じになる線が無数に存在する状態から進化してきたらしい。「線が無数にある方が、なんか立派な感じがする」なんて言う事なかれ。左右相称だからこそ、私たちには前と後が存在するのである。前も後もなかったならば、三歩進んで二歩下る事もできやしない(古すぎます)。それでも上と下はあるから、上を向いて歩く事はできるかもしれない(ますます古い)
それはともかく、ウニやヒトデも前後のない動物である。じゃあ、放射相称の動物から、五放射相称の動物が進化して、それが更に左右相称動物になったのかというと、そうではなくて、棘皮動物はどうやら左右相称動物から進化したのだと考えられている。つまり、一度獲得した前と後を再び失ったという。
で、
「オオイカリナマコの摂餌行動」(データ番号: momo030603sm01b)である。そんな棘皮動物の中で、ナマコと言うのは、体に5を残したまま、またまた前後を持つ事になった動物なのである。これはウニの様な生き物を、縦にビヨーンと引き伸ばして、それを横倒しする形で実現されているのだと考えてもらえば、おおざっぱには当たっている (
「オオイカリナマコの放精」(データ番号: momo010725sm01b)では、ナマコが「立って」いるところが見られる)。だから、ナマコの細長い体は5つの細長い部品を筒状に組み合わせたような構造になっている。で、この映像はオオイカリナマコが岩場をはい回りながら、餌を食べている所なのであるが、解説文を読むと、口の側にある触手を使って岩などに堆積した有機物を集めて食べているとのこと。しかし、よく見てみると、触手のうち何本かは何物にも触れる事無くただ水中をさまようのみで、餌集めには貢献していない様に思える。ひょっとして、これは五放射相称時代の名残で体のまわりにまんべんなく触手が生えているせいで、上側の触手が無駄になってしまっているのだったら面白いのだけど、私のような海の動物の素人がふっと思いついたことが当たっているようだったら苦労はしないので、きっと他に何かもっと深遠な理由があるのだろう。
中田兼介(東京経済大)
2005-04-08