中学生くらいのころだったか、仲の良かった一人の友達に高校生のお姉さんがいて、なんというかそのちょっとキレイな人だったので、いや、もちろん友達のお姉さんだから向こうはこちらに普通に接してくれるわけだけれども、私的には秘かに心の中でドキドキだったわけだ。青いねえ。いや。そんなある日、その友人のうちに遊びに行くとそのお姉さんに「そういえば昨日中田君が歩いているのを見かけたけど、あなたはいつもボーッとしてるわねえ」と言われたのだな。中学生くらいの時分と言えば、もう身も心も肥大した自我でぱんぱんに膨らんでいて、針でつつけば破裂して衛星軌道辺りまで飛んでいってしまうんじゃないかというくらいの頃である。で、その当時の私は自分の事を思索的な人間であるとみなしていて(確かに愚にも付かない事ばっかり考えていたので外形的にはそうであると言えない事も無いのだが)、とにかく「こんなに物を考えているオレって賢そうに見えるよなあ」なんて思っていたわけだ。そこにその憧れのお姉さんの一言である。ハートブレイクって言うの?
で、失意に落ちていてもしょうがないので、ボーッとしてるように見られないためにはどうすればいいか?と考えた。「そうだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずというではないか。まずは、本当に自分でボーッとしてみて、その時の様子を自己観察してみよう。で、ボーッとしているときの行動要素がわかれば、人に見られているときにそのような振る舞いをしなければよいじゃあないか」まったく小人閑居して不善をなすとはこのことである。
それはともかく、これはよい思いつきだと考えた中学生の中田少年はすぐにボーッとしてそのあたりを歩き回ってみたわけだ。するとビックリ日ごろの風景がいつもと違って見えてくる。およそ中学生というのはエネルギーに満ちあふれていて、力の抜き方を知らないものである。いつも目に入るものの中で一番面白そうなものだけに全注意力を集中していたのであろう。ところが、わざとボーッとする事で、これまで見過ごしてきたものが意識に浮かび上がってきたのだなあ、と目から鱗が落ちまくったのである。こう、男の子は年上の女性のおかげで大人になる、という話。
いや、そうでなく、注意の向け方次第で一つの光景からいくつもの視点が浮かび上がってくるという話なのである。ということで、今日は背景に注目してみよう。まずは
「ニホンザルの集団遊び2」(データ番号: momo010930mf01b)。ニホンザルたちが山の斜面でビニール袋を取りあって遊んでいるところであるが、ときどきカメラの位置によって背景に京都の街並みがパーッと拡がってくる。私は学生の頃の実習で、まさにこの場所でニホンザルの行動を観察した事があるが、ここは大変に眺めがよろしい。こんな眺めの良い場所で日々暮らしているとさぞかし愉しかろうが、そのせいで日々遊びに精を出しているのじゃないか?とうっかり考えたくなってしまう。
お次は
「卵塊から抜け出すモリアオガエルの幼生」(データ番号: momo031023ra01b)。良く聞くと映像の後半に車が近くを通る音が聞こえる。映像を見ているだけではよくわからないが、ひょっとして撮影場所は人のたくさんいるような場所なのだろうか?この映像では、面白いシーンを目撃してテンションの上がった撮影者たちの声も聞こえてくるが、こういう音声が録音されている映像は他にもたくさんあるので、暇な人はまた探してみてくださいな。
最後に
「ハヤブサの交尾」(データ番号: momo040115fp01b)。これは街中のビルで営巣したハヤブサが交尾しているところの映像であるが、街中であるがゆえに背後を通過する人や車が映っている。当然彼らはすぐ側でこんな事が起こっている事を知らないわけで、それに気がつくと、こうなんというかこの映像を見ることの特権性というか、密やかな愉しみが付け加わる気がするのだけれど、どんなもんでしょう?
てなわけで、ボーッと映像を見ていると、必ずしも撮影者の意図ではないことも色々見えてくる。こういう見方は、人によっては邪道と思われるかもしれない。でも私はあることの受け取り方に多義性があると言うか、あいまいさが許されているというのは、実は創造性の源だったりするのではないかと考えているので、どんどんやっていけばいいんじゃないかと思ったりしているのです。
中田兼介(東京経済大)
2005-08-05