このコラムで何度もネタとして取り上げてきたウチの子たちも随分と大きくなってきた。こうなってくると昔はできていたフィジカルな遊びでもうできなくなってしまうものが出てくる。例えば、こちらが仰向けになって足の裏で子供の腹を支えて高く掲げる「高い高い」、とか、脛につかまらせて足を上下に動かす「ギッコンバッコン」とかだ。もう重たくって中年男性の衰えはじめた筋肉には過酷な労働なのだ。
そんな中で、ウチでまだなんとか続けられているのが「サル遊び」。子供を仰向けに寝ころばせて覆いかぶさりこちらの体にしがみつかせて持ち上げて前後に揺すってやる。まさに
「子ザルを運ぶ母ザル」(データ番号: momo080628mf02b)のような事をしてやる。足だけでは無理でも4本なら支えられる!なんて世界はシンプルにできているのだろうということを実感する日々だ。
しかし、まさに映像のような、と書いたのだけれど、実際は私たちのサル遊びとニホンザルの運搬行動はちょっと違うところもある。それは子供がしがみつく場所で、ウチの場合子供の手は私の首に絡みつき足は腰のところで背中にまできっちり回り込んでいる。そうでないと子供自身が自分の体重を保持できないのだ。ニホンザルの方では、子供はどうやらそんな事はしていない様子。毛皮あたりをつかんでいるのだろうか。ニホンザルの子供はまだ小さいからウチの子のようにガッチリつかまらなくても落ちなくて済むのだろうけど、同じような事を私がやられて弛んだお腹の肉をつかまれるのは痛そうでちょっとイヤだなあと思ったりする。
データベースにはチンパンジーの親が子供を運搬する行動の映像もある。
「アカンボウを運搬」(データ番号: momo060407pt18a)だ。ここではサル遊びの様な事は見られず、ただ親が子を抱え上げて運んでいるだけ。もちろんこれだけではチンパンジーが「サル遊び」行動をしないと言えるわけではないのだけれど、そのあたりほんとうはどうなっているのか知りたかったりする。どうでもいいけど、「サル遊び」をしているわけではないけど、子供は遊んでいると言う認識をしているらしいところが面白い。
それはともかく、この遊びもいつまでできるものやらと思うと一抹の寂しさを覚えている。最近とみに思うのは、一度小さい子供のいる生活を経験してしまうと、常に誰か世話してないと落ち着かなくなるよう心が組み変わっちゃうんじゃないか、と言う事だ。変な表現をすると、子育てには中毒性があると言うか。どこかにギッコンバッコンさせてくれる子供いませんか?
中田兼介(東京経済大学)
2008-11-07