恥ずかしながら、
コラム「Pirouette ピルエット」を読んで初めて、遊びに4つの分類があることを知った。そして目眩が遊びの一つだということに驚いた。なるほど確かに自分が子供の頃にも、立ったままグルグル回転し、世界がグラグラ回るのを楽しんだことがある。麻薬なんかも目眩が生じて楽しいのだろう(注:麻薬は遊びではなく犯罪です)。研究者の中には「研究に熱中しすぎて目眩がする」という人もいるかも知れない(研究は遊びではなく研究です)。とにかく、目眩が遊びであるということに納得した。
その4つの分類の1つに「運」というのがあることも知った。ジャンケンや賭けなどをして、期待通りになったり、あるいは期待が裏切られたりすることは、ある意味楽しいことなのだ。もちろん許容を超えた「大負け」をして、さらにその賭けにのめり込むというように、笑い事では無くなってしまうこともあるので注意が必要だが、思い通りにならないはずのものが思い通りになったとき、人は無上の喜びを感じるものではないだろうか。
では動物は、そんな「運試し」のような行動をするのだろうか?やはり人に近いチンパンジーやボノボで、それらしい映像を探してみると、
「オオアリ釣り」(データ番号: momo050302pt03a)があった。そうだ!釣りだ!現代の日本人にとって釣りは遊びだ。魚屋に行けば簡単確実かつ安価に魚を手に入れられるというのに、長崎の海岸線には釣り人だらけだ。このチンパンジーたちも、枝を突っ込んで引き上げては、「お、たくさん釣れた、ラッキー!」とか「チッ、釣れねー」とか思っているのでは無いだろうか。そういう視点で見ると、
「ギニア・ボッソウのチンパンジーによるナッツ割り行動」(データ番号: momo011122pt03a)も、
「ギニア・ボッソウのチンパンジーによる水藻すくい行動」(データ番号: momo011122pt01a)も、「今度はうまく割れた」とか「いっぱい掬えた」とかいう感想をもらしていてもおかしくない行動だ。
しかしお気づきのように、これらはいずれも「遊び」とは見なされておらず、むしろ「文化」と呼ばれている行動である。
コラム「動物は遊ぶか」を見ても、「遊びとは目的がはっきりしないもの」と書いてあるが、アリ釣りやナッツ割りは、食べるという目的がしっかりとある。よってこれらは遊びと呼ぶべきではないだろう。
ただ、人間の遊びと文化についても、どちらが他方に付随するものか、あるいはどちらが他方から派生したものなのかについて論争があり、そしてカイヨワはそのような「文化が先か、遊びが先か」という論争には与せず、「どちらも対等」というような考え方をしていたらしい。人の釣りも、本来は食料を手に入れるための文化であったが、そこにはやはりギャンブル的な高揚感があったのではないだろうか。文化と遊びは不可分であったほうが面白い。チンパンジーとカイヨワは、それについても話が合うんじゃないかと、個人的に願っている。
(しまった!4年に一度しか無い日付のコラムなのに、それとは関係ないことを書いてしまった!せめて題名だけに記念を残そう。)
繁宮悠介(長崎総合科学大学)
2008-02-29