本能行動にこだわって長々と書いてきたけれど、それも今回が最後である。最後は本能行動という言葉の意味を素直に考えてみたい。最後になって素直に読むというのも、なんだかずいぶん素直でない話だと思うけれども。
素直に理解すれば、本能行動とは「本能によって行われる行動」という意味だろう。では、その本能とは何かということになる。
「本能」という言葉は,日常的にも,比較的よく目にする言葉だと思う。いろんな使われ方をしているようだが,その共通する意味をまとめるとすれば,「動物(人間も含めて)が生まれながらに持っている,何らかの行動をする(不思議な)能力や(どうしようもない)欲求」といったとこだろうか。
「欲求」はやっかいな問題なので,ここではとりあえず「能力」の方を考えることにしよう。つまり本能とは、短く言えば「動物が生まれながらに持っている能力」ということになる。
「生まれながらに」というのは「生まれた時にもうすでに」ということである。だから,本能でない能力があるとすれば,それは「生まれた時に持っていなかった(でも今は持っている)能力」ということになる。そういうのは,例えばなんだろう。私に関して言えば,コンピューターが使えるとか,方程式が解けるとか,みそ汁が作れる,等が思いつく。これらがなぜ出来るようになったかというと,それは教えてもらったり,本を読んだり,練習したりしたからで,そういうことをまとめて言えば「学習」ということになるだろう。
学習によって得られる能力は、生まれながらの能力ではないのだから、それは本能ではない。だから学習によってできるようになる行動は、素直に考えれば、本能行動ではない(と思われる)。ところが、現実はそうとも限らない。
スズメ目の鳥は、成鳥になると美しい「歌」を歌うが、いきなり上手く歌えるわけではない。最初のころは「歌」とは呼べないような鳴き声で,そのうちだんだん上手く歌えるようになる。また,雛の時に同種の鳥の歌を聞くことが必要で、その経験がないと、いつまでたっても歌えるようにならない。つまり、歌うという行動には、学習が必要なのである。では、同種ではなく別種の歌を聞かせたらどうなるだろう。その聞かされた別種の歌を学習して歌うだろうか? ミヤマシトドでの実験によれば、そのような学習はおこらない。雛は、何の歌も聴かされなかった時のように、いつまでも歌とは言えない鳴き声を出すばかりなのである。彼らは同種の歌だけを学習するのである。では,どうやって同種の歌だと判るのかというと,生まれながらに判るらしいのである。つまり、同種の歌を判る能力は本能なのである。彼らの歌学習には本能が関わっているのだ。
学習と本能は意味として対立している。でも、実際の行動レベルでは混じり合っている。学習による行動が実現するには、本能が必要なのである。学習行動もある意味では本能行動なのだ。
最近思うのだが、どうも自然は思ったほど素直というわけでもないようだ。しかし,かと思うと、時にはあっけないほど単純だったりもする。自然は,人の思惑等とはまったく無関係に(そんなことは歯牙にもかけず),ただ在るだけ,ということなのだろう。
次のデータが,鳥の歌学習と発達の様子をよく示している。
「ジュウシマツの歌の発達 : サブソング(50日齢)」(データ番号: momo080925ls01b)
「ジュウシマツの歌の発達: サブソング(63日齢)」(データ番号: momo080925ls02b)
「ジュウシマツの歌の発達: プラスティックソング (78日齢)」(データ番号: momo080925ls03b)
「ジュウシマツの歌の発達: プラスティックソング (78日齢)」(データ番号: momo080925ls03b)藪田慎司(帝京科学大学アニマルサイエンス学科)
2009-03-27